序論 大和朝廷は誰が造ったのか?


 1,大和朝廷は一体誰が造ったのか?

  こんな問は余り聞いたことがない。なぜならその答えは分かり切っているからである。

  それは「ヤマト国(天皇の国)」が造ったのである。

  朝廷の(王権と言う人もある)初期には、支配下の国は少なかったが、比較的短期間に(ほぼ百年くらいで)日本全国を制覇した。その支配力の強弱はあったが、天皇の支配は現在まで続いている。

 2,「邪馬台国」は中国語だ
  
 一方「邪馬台国が大和朝廷になったのだ」と言う人もある。私はこの表現は「中国語と日本語のゴッチャマゼである」と思う。このゴッチャマゼが意外と混乱の元となる危険性がある。
 
 
右の写真版は「隋書」の一部だが「北史」にも同様な文がある。

 
意味は「倭人はヤマトに都を造っている。彼らは魏志が書いている邪馬台国の者だ」である。

 3,結論 つまり「邪馬台国」=「ヤマト国(天皇国)」となる。

4,邪馬台国畿内説は「ヤマト国(天皇国)畿内説」の意味である

 それは絶対に正しい。畿内にあった天皇国が大和朝廷になったのだ。

 従って、畿内から天皇国(邪馬台国)らしきものが出た、つまり「やはり邪馬台国は畿内だ」と言って騒ぐのはちょっと妙である。

5,但し、魏志に書かれている邪馬台国(天皇国)の場所は、絶対に奈良ではない。

 それでも「奈良だ」と言う人がいるがそれは無茶である。

 「天皇国」が昔から奈良で成長した、とするのはムリである。奈良には二世紀以前の遺跡はない。

 古墳文化を考えても、「奈良天皇国」は長い歴史を持っているはずである。

6,「大和朝廷」の祖であるヤマト国はよそからやって来たに違いない。

 となると、誰でも思い当たるのが「神武東征」である。

 「神武東征」は決して架空ではない。日本古代史の重要事件である。

7,「大和朝廷」の祖は日向にあった「ヤマト国」の可能性が極めて高い。
 何故なら近い未来に倭国の中心となるような大国が引っ越しをした、そのような 大事件が伝説にも残らない、などと言うことはあり得ないからである。
 余りにも有名な「神武東征」がその大事件と断定してもよい。
 その出発地(日向)が奈良より前にヤマト国があった場所である。

 つまり魏志倭人伝に書かれている邪馬台国は、いわば天皇家のふるさと、日向国ではないかと、だれでも思う。
  8、神武東征の出発地が「天皇家のふるさと」と考えて良いだろう

 ただし、その場所をピンポイントで特定するには、このように大ざっぱに見たのでは無理である。

 以下の本論で詳しく検討しよう。