14, 肝属平野の古墳

実の所、古墳の判定は相当な知識が必要であると同時に、実地検証、微妙、あいまいさが加わって、とうてい浅学の私の手におえるような物ではない。本論に賛同されるような関係者があれば、「大隅邪馬台国」の目で、新しく見直しをして頂ければ幸いである。

 鹿屋市には際だった古墳は見あたらないが、それは「住居地には古墳は造らない。古墳は原則として住居地域からかなり離れた当時の無人地区に造ったであろう」と常識的に推測出来る。

 
鹿屋市から十キロ程度東側の肝属平野には多くの古墳があり、その数は調査の時によって多少の違いがあるが、下の資料によると、前方後円墳19基,円墳297基、計316基となっている。規模の大きい古墳群は東串良町の唐仁古墳群と高山町の塚崎古墳群である。

下の表、および「 」で示す引用は全て、東串良町教育委員会「唐仁古墳群」1997、及び同名の資料1992年版による。

「大隅の高塚墳」

東串良   高山  串良   吾平   大崎   有明   志布志    計  
 
前方後円墳 
  4   6   1    0    6   1   1   19
 円  墳  122     98     37   12   19   9   0   297
    
  計 
 126  101   38   12   25  10   1   315


 尚、鹿児島県内の前方後円墳は、明らかに後代のものと見られる長島町の物を除けば、肝属平野にしかない。

 
規模的には「邪馬台国の墓地」として妥当と思え、それなりの綿密な調査を期待したい所であるが、現状では私のような意見は異端であり、石棺内部の研究など核心に至る調査は不十分と思える。

「(何度も古墳の調査は行われているが)所謂分布の調査に過ぎず、古墳の内容を検することは能はざるを以て、何ら興味ある報告をなすを得ざるを憾みとす」(大正12年「大隅に於ける古墳の分布及び其概観」瀬之口伝九郎)という感想は現在も変わらない。

 調査報告は殆ど外観で核心には触れていないが、むろんこれらの古墳についての「定説」がある。
私の主張は「邪馬台国は大隅にあった。それが奈良へ遷った」というのが大筋である。従って大型古墳の造成時期は、ほぼ卑弥呼の墓(250年頃)を最後としてそれ以前でなければならない。

 しかし「定説」はおおむね「五世紀」である。五世紀であってはこの小論は成立しない

 
定説「大隅の古墳は四世紀の畿内型と同型であるが、畿内からの伝搬の時間を考慮すれば、約一世紀遅れの五世紀の造築と考えられる」(東串良町埋蔵文化財調査報告書)

 私見=これは逆で、大隅には三世紀に古墳文化があったが、それが「畿内への引っ越しに関わる混乱期間」及び「畿内で安定政権の成立に必要な時間」を経て、畿内で大隅と類似の古墳が出来たのは四世紀であった。

 定説「唐仁古墳群の周囲から発見されるのは、ほとんど弥生時代のものであるが、このことは当地では弥生文化が相当な期間にわたって続き、畿内や北九州よりの伝搬の遅れを物語っている」

 私見=「弥生時代の伝搬の遅れ、つまりこの地は辺境なので他の地よりも弥生時代が長く続いた」のではない。まさに弥生時代に造られた古墳である。

 現状では「当地の古墳文化は畿内からの伝搬」というのが定説である。もちろん時代が下ったものであれば、進化した畿内型が造られたであろう。しかしこの地に邪馬台国があったのならば、250年(卑弥呼の墓)以前の墓が多数あるはずである。

 邪馬台国の墓と後に畿内を模倣して造った墓の間には、時間にして少なくとも100年以上の差が予想される。この両者の間には明確な違いがありそうである。

 古墳の大権威者が多数おられる中で、提案するのは気がひけるが、
その区別の方法の一例として、「埴輪の有無」はどうであろうか。

 埴輪は奈良で発展したものと理解しているので、埴輪が出れば「畿内型」で、タイムラグを考慮すれば五世紀以降の造成となる。その代表は埴輪が多数有る横瀬古墳と思える。

 一方大隅邪馬台国型には埴輪はない。それは大隅型最後(最新)の古墳と思われる「大塚」(卑弥呼の墓有力候補)に埴輪がないのが一証拠である。

 肝属平野の古墳は「埴輪がある、ない」で、大隅型か畿内型か簡単に区別出来るような気がする。

 肝属平野の300余基の内どれだけが邪馬台国の墓だろうか。そのつもりで調査されていないのでそれは不明である。別項「倭奴国」で考えるように邪馬台国は200年以上存在したはずなので、その期間を考慮すれば、推定に過ぎないが、少なくとも100基,5世紀以後の畿内模倣型は案外少ないと予想すれば300基もあるかも知れない。

 便利のいい時代で
唐仁古墳群を航空写真で見ることが出来る
 
 先ず下の分布図を拡大し印刷しておく。数字は「唐仁古墳群○○号墳」で、1号墳が「大塚」である。

 次にボタン「外部リンク」でYahooの東串良町の地図が出るので、「唐仁古墳群」を捜す。
 次に「写真」ボタンで航空写真となる。
 最初ぼやけた写真が出るかも知れないが、拡大すれば鮮明な写真になる。





 唐仁古墳分布図      拡大

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